Column

2022.7.16

コラム第一回 川上御前は日本で唯一の紙の神様ではない?

みなさま、こんにちは!
株式会社 山路製紙所の山路勝海と申します。

 私は「ふすま紙」を主に製造している機械漉き和紙メーカーの代表取締役です。機械漉き和紙は和紙と洋紙、両者と関連が深く、様々な書籍やレポートを読み、両者の製造工程と歴史に興味を持ちました。特に和紙は製造工程も歴史も多様かつ深く、大変感銘を受けました。
 この度は「越前和紙の作り手・伝え手・使い手など、越前和紙に関わる方々へ、越前和紙に関する情報を共有させていただき、次の世代に継承していきたい!」という想いからコラムを連載いたします。多くの方にご覧いただけますと嬉しいです。


第一回のテーマは『川上御前は日本で唯一の紙の神様ではない?』です。
今回は紙の神様 川上御前について、みなさまと一緒に考えていきたいと思います。

【 越前和紙の始まり 】
 みなさま、越前和紙の始まりを知っていますか? そもそも川上御前とは何者?と思われる方が多いのではないでしょうか。(写真1)
 越前和紙の産地である福井県越前市五箇(ごか・不老/大滝/岩本/定友/新在家の5村)の紙漉きの歴史はおよそ1500年前から始まるとされています。1500年という数字のよりどころは五箇地区と岡太(おかもと)神社に言い伝わる川上御前の伝説です。
 伝説ではおよそ1500年前(5世紀末)、後の継体天皇となる男大迹王(をほどのおおきみ)が越前地方を統治していたとされる頃、岡太川に美しい女性が現れ、村人に紙漉きの技術を丁寧に教えたとされています。喜んだ村人がその名をたずねると、「この川上に住む者」とだけ答え、姿を消してしまいました。村人はこの女性を川上御前と尊(とうと)び、紙祖(しそ・紙の始まりの元祖)の神様として、岡太神社にお祀(まつ)りしました。

(写真1)紙の神様 紙祖神 川上御前 御尊像 (岡太神社・大瀧神社蔵)

【 越前以外の和紙産地にも紙祖は存在するの? 】
 現在越前和紙を紹介する多くのメディアでは、川上御前は「日本で唯一の紙の神様」と紹介されています。しかし、川上御前を祀る岡太神社・大瀧神社の看板や公式パンフレットには「日本で唯一の紙の神様」とは書かれていないのです。
 ここで結論から言いますと、川上御前は「日本で唯一の紙の神様」ではありません。越前以外の和紙産地にも紙祖は存在し、尊ばれています。その紙祖は、紙の神様・水の神様・和紙の原料である楮の神様・その産地に紙漉きを伝えた人物など、産地によって様々です[*1]。
 ではなぜ「日本で唯一の紙の神様」と紹介されていたのでしょうか。これを明らかにするために、お札(紙幣)と越前五箇の関係を紐解いてみましょう。

【 お札の開発に五箇の職人が募集される 】
 現在のお札(紙幣)は国立印刷局で作られています。明治〜大正時代、紙幣用紙を作る工場は「大蔵省紙幣寮抄紙局(おおくらしょうしへいりょうしょうしきょく)・大蔵省印刷局抄紙部(おおくらしょういんさつきょくしょうしぶ)」という名称で東京の王子村に設置されました。
 明治8年(1875)、紙幣寮抄紙局での新しい国産紙幣用紙の開発にあたり、越前五箇から紙漉き職人が募集されます。(写真2)
抄紙局へ迎えられた紙漉き職人たちは現地の局員と共に研究を重ね、現在のお札に繋がる紙幣用紙製造の基礎技術を築きました [*2]。(写真3,4)

(写真2)紙幣寮抄紙局へ招かれた越前の和紙職人 写真の出典:紙パルプ技術タイムス2017年7月号(紙業タイムス社発行) 『日本における紙幣用紙製造の歩み(第2回 和紙の技術による国産製造)』 独立行政法人国立印刷局研究所 武藤直一 著

(写真3)国産紙幣(透かし無し)(流し漉き)交換銀行紙幣1円券 明治10年 写真の出典:大蔵省印刷局ー写真でみる100年のあゆみー 昭和47年3月 大蔵省印刷局発行

(写真4)国産紙幣(はじめての黒透かし入り)(溜め漉き)日本銀行兌換銀券10円券 明治18年 写真の出典:大蔵省印刷局ー写真でみる100年のあゆみー 昭和47年3月 大蔵省印刷局発行

【 唯一、国家機関に祀られた「紙祖」 川上御前 】
 さて、越前五箇で紙漉き職人が募集されてから48年後の大正12年(1923)、越前五箇と印刷局抄紙部は交流を続けていました。この年、抄紙部側から川上御前の御分霊を祀りたいとの要望があり、抄紙部構内の飛鳥稲荷神社に川上御前の御分霊が合わせてお祀りされます[*3]。(写真5,6,7)
当時、印刷局抄紙部長を勤めていた佐伯勝太郎博士は、川上御前を多面的に調査した結果、日本全国で一番筋の通っている「紙祖の神」と説明されたようです [*4][*5]。

(写真5)印刷局抄紙部職員と越前製紙業者記念撮影(大正12年7月22日 岡太神社分神合祀祭) 写真の出典:佐伯勝太郎伝記並論文集 昭和27年 印刷庁発行

(写真6)抄紙部構内飛鳥稲荷神社へ岡太神社合祀の祭典(大正12年7月) 写真の出典:佐伯勝太郎伝記並論文集 昭和27年 印刷庁発行

(写真7)抄紙部構内飛鳥稲荷神社へ岡太神社合祀の祭典(大正12年7月) 写真の出典:佐伯勝太郎伝記並論文集 昭和27年 印刷庁発行

 印刷局は明治〜大正時代にかけて製紙技術教習所を設置し、全国の和紙・洋紙業界から教習生を募集して製紙技術を広めます。和紙・洋紙業界は、官(印刷局)と民(民間業者)による官民交流の恩恵のもと、近代化の道を歩んでいました[*6]。これらのことから、印刷局は当時の紙業界において国内最高峰の技術機関であったことは明らかです。さらに、当時の国家情勢において、国家機関の印刷局抄紙部に祀られることは、国家に祀られることと同じ意味があると考えられます。

 このような経緯があり、数ある紙祖の中でも川上御前は国家機関に祀られ、日本の紙業界の守り神として全国の和紙・洋紙業界から尊ばれる神様となりました。

【 「唯一」の解釈の変化 】
 大正12年は現在からおよそ100年前です。この長い年月の間に先人の誰かが「日本で唯一の紙の神様」と言い始めた、もしくは出版物等に書き記し、解釈の変化が起こり始めたと考えられます。

【 まとめ 】
 川上御前は越前市五箇地区に紙漉きの技術を伝えた女神で、岡太神社・大瀧神社にお祀りされています。越前以外の和紙産地にも紙祖は存在し、尊ばれています。およそ100年前に川上御前は国家機関の印刷局抄紙部に御分霊が祀られたことで、日本の紙業界の守り神として、全国の和紙・洋紙業界から尊ばれる紙の神様となりました。その後、長い年月が経過する中で当産地の人々の「唯一」の解釈が変化していったのではないかと私は推測します。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これからコラムを通し、越前和紙の歴史を見つめ直すことの楽しさをみなさまと共有してゆきたいと思います。

第二回は「印刷局と越前の関係」についてみなさまと一緒に考えていきたいと思います。
次回もお楽しみに!


- 参考文献
[*1] 越前以外の産地の紙祖については、以下の書籍に詳しく書かれていますので参考にしていただけますと幸いです。
   「和紙つくりの歴史と技法」 久米康生著 平成20年 岩田書院発行 65〜68頁
   「和紙の里 探訪記 全国三百ヵ所を歩く」 菊池正浩著 2012年 草思社発行 55〜104頁
   「和紙の里」 林正巳著 昭和61年 東京書籍発行 231〜251頁 など
[*2] 「大蔵省印刷局百年史 第1巻」昭和46年 大蔵省印刷局発行 291〜293頁
[*3] 「大蔵省印刷局百年史 第2巻」昭和47年 大蔵省印刷局発行 378〜381頁
[*4] 「佐伯勝太郎伝記並論文集」昭和27年 印刷庁発行 260頁
[*5] 「越前和紙のはなし」斎藤岩雄著 昭和48年 越前和紙を愛する今立の会発行  107頁
[*6] 前掲[*4]文献 63〜72頁、145〜151頁


文責 (株)山路製紙所 山路勝海